コロナウイルスが 流行して早2ヶ月
なんとも禍々しく
如何ともしがたい状況の中
未だに届かぬ アベノマスク
本来必要とされてる 時期
本来必要とされてる 人に
未だに届かぬ アベノマスク
時には ゴミのマスクとも言われ
最近では全国で
寄付活動が広まっている
アベノマスクにしても
考え方を変えると 違う発想になり
価値観がちがって見えてくる
ゴミを 護美 と 読む 発想
一般に手に入る形態のマスクは お金が自由に使え
健康で 自分で買いに行ける人からすれば
無くなったり 無くなりそうになれば
買えば良いや となる
使い終われば価値無く
やがてゴミになる
しかし お金も自由に使えず 買いにいけない
人からしてみれば どんな形態のマスクであれ
貴重で価値がある 大事に扱うから
護美である
賛否色々あると おもいますが
アベノマスクを タピオカ 割引券など交換
する動きも あちこちで盛んになっている
企業側の戦略
寄付と同時に メディアなどに
取り上げられる事により 宣伝効果 集客
に繋がり 一時的に活性化する
あくまでも 個人の意見だが
寄付する個人は
タピオカもらえるから?寄付?
割引券がもらえるから?寄付?
それって寄付でなく
物とマスクを物々交換しただけだよね?
寄付という名の交換?
そもそも 寄付とは寄付者の意思で
無償の対価で譲渡する事では?
違うのかな?
使えないマスクを交換
使う予定のマスクを交換
とでは また意味も変わってくる
企業側は最終的には
施設に届ければ確かに寄付ですが
企業は仮に物と交換して集めた
マスクを施設に
渡すとき 寄付ですだけ伝えて
渡すんだろうなー って
それぞれ見る観点が違うから
正解は分からないけど
娘と私を知っている人との前提の話
寄付していただける方に 亡き娘と同じ病気
施設で暮らす人 娘の友達 などの
状況を知ってもらって 寄付を募ります
これから使う予定が無ければと
物も交換条件ではなく 施設の方に
使ってもいますと発信して
寄付マスクを受け取る側も
そして使う人たちも
物と引き換えで交換した アベノマスクを
使用してもらうより
ただ純粋に無償で寄付の方が
価値があるのではと…
マスクに関し
私の発信してることは 普通に生活してる
方には理解出来ないかもしれないし
障害 介護 死 体験したことが無いから
身近に感じないかもしれない
我が子の死は 想像を絶する強烈さ
この世の終わりの絶望が永遠に続く
こんな体験した私だからこそ
発信する意味も重みも有ると思う
誰が発信しないと 存在に気付ず
消えてしまう命も有る
私の発信を理解しようと
関心を寄せて頂いた方が多数いる事実に
本当に幸甚の至りです ありがとうございます
私の活動範囲は限定的ですが
ミユちゃんの お父さんの友達や知り合いから
貰ったマスクって 事で使用してもらうと
多少なりとも安心感 価値観も出ると思う
だから私の所に 一回マスクを預けて
くださった 皆様の全てのマスクは
私の手元にきた段階で
アベノマスクと呼びません
親近感湧く様に 可愛らしく
ミユノマスクと呼ばせて頂きます
ミユノマスクは
値段とか対価じゃなく
人の温かみが有れば 十分価値が有る
一枚有れば 助かる命もある
美結は今 空にいるけど
空からだって 社会貢献貢献してる
色即是空 空即是色
娘の姿は無くとも 私と娘の友達の関係は
変わることはない
知り合いおばあさんから 頂いた球根
白百合と菖蒲 娘の花畑に植えた
いつの日か馥郁と咲く花
その花が伝える花言葉
美しく人を結ぶ為に
咲いてくれるはず
娘は
3年生の2月で旅立って
今 生きてれば中2
正直言うと
生きてる今の美結に
会いたいんだけどね
2020 5末日 M.Y.C.B