娘が天国に旅立ってから 今日で丸3年
長い様で あっと言う間に過ぎたら3年間
変わったものは 僕が見ている風景
弟達の大きくなった姿 そして生活環境
変わらないものは 遺影に写る3年前の笑顔
美結との思い出 後は後悔
あの日から閉ざさ 扉を少し開けてみる
あの時 長男は保育園年長組
パパと病院に向かう途中でスマホに
『ねね頑張れ』って動画をとって
いざ病院に行ったら 病室に子供は入れず
病室の前の自動ドア前で待事に
僕が代わりに意識が戻ってない美結に
見せてあげた そしたら
色んな管に繋がってやっと息をしてた
美結の目から何かを訴える様に
一粒涙がこぼれ落ちた
状態が少し落ち着いたので
嫁と家に帰ると事になった
家に着いて 2時間後だったかな
また病院から電話が…まさか
急いで病院に向かった
でも その時は急いでるのに
不安と恐怖のせいか通慣れてるはずの
病院までの道のりが物凄く長く感じた
今思えば美結が産まれて一週間後
緊急搬送された時 行った事のない
病院までの長い道のりに似ていた
病院に着くと 医師からから説明が
もうすぐ危ないと…
医師は心臓マッサージを続けても
助かる見込みは少ないと
医師から命の選択を聞かれた
目の前で何人もの 医師 看護婦 僕 嫁 長男の動画
願いを込めて 何度も何度も声を掛けた
僕は命の決断しなくてならなかった
産んでくれた妻に娘の命の決断したを
させたくなかった
だから僕が医師に決断しを伝えた
医師の判断で延命措置を終わらせて下さいと…
最後に沢山の医師 看護婦 僕 嫁 長男声も
届かなく 数分後 旅立ってしまった
そして泣いた 全てが崩れ落ちた
霊安室から まだ暖かい美結の身体を乗せて
家に向かった まだ生きてるみたいに
沢山の話し掛けた でも
だんだん手は冷たく変わって行く…
葬儀時の事は断片的にしか覚えてない
と言うより思い出したくない
美結に書いた手紙の内容も あまり覚えていない
火葬場で娘が焼かれる 骨になったて出てきた時
本当に現実を知る
それからしばく精神は狂い 崩壊
何も手につかない
それから色んな人に支えられて
少しずつ現実を受け止めるようになった
あの日キヨハルはどんな思いで
姉の事を待ってだのだろうか?
目の前で起きてる事を理解してたのだろつか?
僕はキヨハルが口をひらくまでは
あの日の事を聞かない
今日でキヨハルは美結と同じ日数
生きて来たことになる
明日から美結の分のまで
1日1日を大切に楽しく生きて欲しい
色んな事が起こるだろうけど
自分の経験を生かし
身体の不自由な人みたら 手を差し伸ばし欲しい
五体満足で産まれ 色々出来る事が当たり前で
なんの感謝もない人達
僕もそうだったのかもしれない
だけど今は違う 娘が教えくれた
養護学校 療育園などで身体の不自由な人達にも
関わりを持たせてくれて
介護の実態も教えてくれた
今は五体満足で生活出来ることに感謝している
またしばらく記憶の扉に鍵をかける
2019 2