娘が亡くなり4回目の春を 静かに迎える
昨年
2019年4月4日 私の祖母が永眠した

私が幼い頃 両親が共働きだった
と言うことも有り 両親が帰って来るまで
身の回りの 世話をしてくれた祖母

他の人とって祖母は どう映っていたから
分からない 人は皆な映り方が違うから

私は祖母に 相当可愛がってもらった
私から見て祖母は 祖母の過去の出来事も
あるのだろうか 人に弱い面を 見せず
余り人を頼らない 少しい強気な所も
あるような性格もあった
祖母が残した 多数の手記を見ると
私には少なからず そう映った

だが 私達 孫ににとっては いつも
優しいく 成長過程の 世話をしてくれた
そして成長するまで 一緒に過ごし
色んな事を沢山教えてくれた

孫の中でも一番私が祖母と過ごした
時が長く 色々迷惑もかけたと思う

祖母とは生きてきた 時代が違うが
今思えば 一緒に生活する事で 
昭和の中頃の生活を
良くも悪くも体験出来たと思う 

祖母との色々な 思い出は
気が向いたら 書き残す事にして

ここ数年は 私もお正月になると
あと何年 一緒に迎えられるのかと
指折り数え ため息をついていた
年齢的に あと何回なのかと

祖母が倒れ それから入院
私はあえて面会には いかなかった
祖母の性格を知っているが故に
会った所で 弱さを見せないし
強がるだけだろうし
心配を隠し 私は普段通りを装い
会わず 祈る日々を送った

父と面会に行ったときは 数ヶ月前の
姿はなく 弱々しく変わっていた

数時間後 僕と祖母の時は 終わった
手は冷たく 硬く 静寂が

祖母の死は 私の成長していく過程で
いずれ永遠の別れが 小さい頃から分かってた
それがいつなのかは 分からず
いずれは経験するだろうと
それが訪れた日 悲しく 寂しく 昏く

我が子の死の時より 狂わなかった自分が居た

あの時は想像も してなかったし 
娘と永遠の別れ なんて言葉も 無かった
想定なんて概念もない だから
突然訪れた日 狂い 崩れ 絶望 発狂

祖母の死は 経験しなくてはならない事
我が子の死は 経験しなくていい事
どちらにせよ 死に対して
悲しいのには 変わりはない

自分を構成している 2人の死は 
私にって衝撃で 重要な事である

祖母の葬儀で 私は祖母にお願いをした
天国にいる娘は 中学の入学式の時期
私は娘の入学式に行って あげられない
行ってもいいのだが こっちに戻ってくる道が無い

だから祖母に 娘を任せた
安心して任せられる

私の変わりに 祖母と 祖母の親
祖母の兄弟みんな連れて 大勢で 
娘の入学式に行ってくださいと 

どんな感じだったかは 私がそっちの世界に
行ったときに 教えて

そっちの世界では 私の幼少期同様
私に接してくれた様に 私の娘に接して
成長させてください
託します 私が行くまで 

今 仏壇に並ぶ 2人の遺影

今度 私の好きな歌 歌うよ
私の歌声 聞いたことないよね
少し歌は 得意なんだ 知ってるよね
遺影の前なら 照れずに歌えるよ
清春の歌を…

ばーちゃんから教わった
兄弟仲良く これが
なによりの供養なる

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