まだ美結が3歳ごろ だったかなー
ばーちゃんが 
三上さんが亡くなったよ

数年前に心臓にペースメーカーを入れ
しばらく無理のない 生活をしていて
調子良い時は 我が家まで遊びにきて
近所の方も心配してたようで
毎日 顔を見て 話をしてしに
行ってたみたいなのです

近所の人が あさ行ったら 電気がついてて
おかしいと思い 窓からみたら
倒れてたそうです 

僕は知らせを聞いて 妹と一緒に
おばちゃんにお別れを言いに
家にいった そこには 
数人の親族の方が居ました 
私たちとの関係をお話しして
お別れをさせてもらった
身近な人が亡くなる事の
悲しさを 知ることになりました

おじちゃんは
痴呆症が進み数年前から 
隴人ホーム生活でした でも
僕たちが伺った時には ちょうど施設の
方のときてた様な 
でも 妻の事も少し思い出せなかった
みたいた感じたった でも寂しい感じはした

私は親族の方に 紫のクローバーの絵を
棺桶に入れてあげたいと 伝え
絵の説明してして 入れて頂いた

今思えば たけしニーちゃん
自分の母の異変に気付き
元気付けようとして 
僕と黄色い図鑑を…

図鑑の裏に自分の名前が
書いてあるものだったから
おばちゃんに たけしニーちゃんの
名前書いてあるよ って
伝えて渡したはず

あの時 おばちゃんは
武にもらったんかい って
ニコニコしてた 
しばらくぶりの再会だもんね 

おばちゃんの 命日11月6日

その数年後 老人ホームで
おじちゃんは 亡くなった

おじちゃんの命日2月25日

僕はおばちゃんが 亡くなってから
毎年 お盆は お彼岸は お墓参りしていた

それから 数年後 私の娘 美結が
9歳で空へ 旅立ってしまった

偶然なのか 娘がおばちゃん達の事も
忘れないでくれと言ってるのか
11月6は 美結の誕生日
2月25は 美結の命日

おじちゃん おばちゃんの命日が
同じ日なのです 

良くしてくれた人たち 忘れません

本日 8月13日 迎え盆
おばちゃん達の墓前に 手を合わせにいった
のですが お墓の自体がなくなっていて
何度も辺りを見渡し でも無いので
一瞬 状況が理解出来なくて
子供達もここのはずって 

家にいる戻り 
父に説明したら 
永代供養になったのかもと
そこで永代供養の事を知ったのです

場所は変わっても 毎年手を合わせに
行きますね 
墓石は無くても 僕の心の中には
1月4日 11月6日 2月25日は
刻んであるから 忘れませんから

僕の子供達は いつもパパのお友達の
お墓の行こう って言ってくれてるよ
僕時代が変わっても 忘れないよ

2020.8.13

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